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ラオス Laos
北ラオスを走る
 
(左)ムアンシンから10キロ地点。中国との国境(2001年4月19日)
(右)ムアンシンからミャンマー国境へ。途中の川渡り(2001年4月21日)

ラオス北部の小さな町、ムアンシンMuang Sing。ルアンプラバンから約300キロ、中国国境まであと10キロという所にあり、またミャンマー国境からも近い。町の中心にあるマーケットには周辺に住むアカ族、ヤオ族などの少数民族が交易にやってきて、早朝から活況を呈している。
 そのマーケットに程近いゲストハウスに宿をとり、何がでてくるか分からないおもちゃ箱のようなこの町と周辺の村々を走り回ったのであった。その年の豊作を巨大ロケット花火の打ち上げによって占う「ロケット祭り」を見物したり、中国との国境ラインからちょっとだけ「不法入国」して遊んだり、アカ族の子供達とバレーボールの試合をしたり、アカ族の新年「ピーマイアカ」でモチつきを見たり、川で地元の少女たちと一緒に泳いだり(ていうか実際は向こうはただ逃げ回ってたけど)、興奮の4日間であった。






(左)ラオス北部からタイへ再入国を目指し走る
(右)道中で獲りたてのリス?を売っていた
(2001年4月22〜23日)

 数日間ムアンシン・ワールドを楽しんだ後は、ルアンナムタ経由で一気にタイとの国境町フェイサイHuay Xaiまで、と思いきや、目的地まであと40キロほどという所で日没サスペンデッドゲームに。。。宿のあるような町など見つかるはずもなく、やむなく比較的ちゃんとしてそうな村に不時着。すかさず身振り手振りで「どこか寝る場所を貸してくれぇ〜」と村長っぽい人に頼み込んだ。最初は不思議そうな顔で我々の顔を見ていた村長さんであった。が、必死のパフォーマンスの結果、ついに我々の意図が通じ、めでたく学校校舎の一室を貸してもらった。さらにそのあと、もち米や干し魚なども差し入れてくれたのであった。
 突然の珍客に、村の子供達はめずらしい動物でも見るように近寄ってくるが、我々が話し掛けようと距離を詰めると一目散に逃げ出してゆく。大人達も、寝場所と食事を提供はしたものの、今ひとつ我々の正体を見極めかねているらしく、不安げに我々の寝ている校舎の周りをうろうろしたり、隙間から覗いたり、夜中などは隣の家でよくわからないお経のようなものを唱え始めた。これはひょっとして長ひげ河合氏を悪霊と思い込んでの「悪魔払い」の祈りかも。。。
 悪魔退治されない事を願いながら、あまり良く眠れないままとにかく朝を迎えホッとする。朝になってこの村の学校の先生らしいお兄ちゃんが姿を現した。僅かながら英語をしゃべれる彼を通じてコミュニケーションも深まり、村人たちの不安も薄らいでいったようだ。またまた持ってきてくれたもち米の朝飯を平らげ、出発前に少しの紙幣と手持ちの救急グッズ(包帯とか正露丸など)をあげたらとても喜んでくれた。それで我々を医者と勘違いしたのか、次々と自分達の子供を連れてきては「この子は何日も熱が引かない」とか「この頭のできものを治してくれ」などと頼まれとても困ってしまったのであった。






悪霊と間違えられながらもめげず、
ひげひげ河合氏ラオスを走る(2001年4月22日)
ルアンナムタLuang Nam ThaからフェイサイHuay Xaiまでの200キロ足らずの国道3号はほぼ100%ダート。走行前の情報収集では、このルートは道幅も狭くかなりハードであるということであったが、実際は少し違った。確かにダートではあるものの、道は拡幅、整備されている途中のようで、土砂を運ぶトラックと何度もすれ違った。道は広くギャップも少ないという点では走りよかったが、砂が引かれたばかりの部分も多かったのでタイヤが滑ってヒヤヒヤした。また他の車とすれ違ったり、追い越しする度にもうもうと立ち上る砂埃を全身に浴びた。このルートもタイ・ラオス間の要路ということであと数年もしたら舗装化されるんだろうな。






アカ族にすすむ